2011年8月22日月曜日

江戸の花火

『江戸名所図会』より「両国橋(アリギリス蔵
今週末は隅田川の花火大会ですね。
学生時代に東向島在住の同級生の家にみんなで押しかけて、親戚やご近所さんみんなで通りに座って、和気あいあいと花火を見たことを思いだします。都会とはいっても下町はご近所づきあいが密で、郊外のベットタウン育ちの私は「いいなぁ」と羨ましく思いました。

さて、江戸時代の花火。今と同様に江戸っ子たちも心待ちにしていたものです。

両国の花火は、5月28日の川開きの際に打ち上げられました。
川の上にはたくさんの納涼の屋形船が出て、橋のたもとの広場にも人がぎっしり。


きれいな花火を見ると「たまや~」「かぎや~」と掛け声をかけますが、これは花火師の屋号です。「玉屋」が上流、「鍵屋」が下流と決まっていて、互いに技を競い合っていました。「玉屋」は残念ながら天保14年に火事を出したため廃業。一方の「鍵屋」は、現在は打ち上げ業者として続いているそうです。

暑い夏でも川のそばにいくと、涼しい風が吹いてきます。江戸は川の巡る水辺都市でした。しかし、今は暗渠になっていたり、高速道路で塞がれていたりで、昔の姿が感じられないのがとても残念です。韓国・ソウルの清渓川(チョンゲチョン)みたいに、高速道路が取り払われて散歩道が整備され、憩いの場として東京に川が戻ってくることを願います。

2011年8月1日月曜日

本日は八朔


『江戸名所図会』より「新吉原仲の町八朔の図」(アリギリス蔵)

 
突然ですが、クイズです。

本日、81日は江戸時代には、とても重要な日でした。
 「八朔(はっさく)」と呼ばれるこの日、なぜ重要だったのでしょうか?


【答え】徳川家康が江戸に入城した日



このゆかりで、81日は祝日となり、大名たちは白帷子(しろかたびら)を着て江戸城に登城しました。
この日からが衣更えだったそうなので、白帷子の正装で登城する大名たちの姿は季節を感じさせる江戸の町の風物詩のひとつだったのでしょうね。

また、吉原では遊女が白無垢(しろむく)を着るという習慣がありました。
でも、権現様(家康)の江戸入城と吉原の遊女町という組み合わせは、現代人の私には何だか違和感があるのですが……。
この感覚が理解できるようになれば、江戸のことももっと深く理解できるのかもしれませんね。