2011年10月12日水曜日

お江戸紳士録――「武鑑」

江戸時代は出版文化が花盛りでいろいろな種類の本が出ていました。

「武鑑」は大名・旗本などの名前・領国・石高・紋・役職・旗指物などを記した本です。
今で言うところの「紳士録」みたいなものです。
存命活躍中の人々が載っているわけですから、けっこう面白いものとして広く読まれていたようです。
確かに目の前を通り過ぎた大名行列がどこのお殿様でどのくらいの収入があるのか分かったりしたら面白かったろうと想像します。
「武鑑」にも出版社によっていくつか種類があります。
これは『袖珍 有司武鑑』というもの。
馬喰町の出雲寺金吾版で天保18年に刊行したものです。
サイズは15センチ×7センチと小さく、まさに着物の袖の中に入る大きさ=「袖珍(しゅうちん)」ってわけです。

『珍袖有司武鑑』天保18年刊 (アリギリス蔵)

中身は最初に大老→老中→若年寄→と偉い順に続いていきますが、江戸のお役目の最後を見てみると・・・

(アリギリス蔵)


「公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)」と「囚獄(しゅうごく)」が並んでいます。(赤で囲んだ部分)
「公人朝夕人」がどんなお役目だったかというと、将軍が束帯(そくたい)で出かけるときに尿筒(しとづつ)を持ってついて歩くという役です・・・。
「囚獄」は伝馬町にあった牢屋敷の管理をするお役目です。石出家が代々世襲して、帯刀を名乗りました。このお役目は「不祥」ということで、格としては与力格でお目見えできるはずなのですが、江戸城への登城は許されませんでした。

しかも武鑑すら、彼らの前に1行空白を空けて区別するなんて・・・。何だかちょっと切ないお役目です。