2011年11月24日木曜日

江戸っ子の恥じらい?

たまには色っぽい話もありかな~?というわけで吉原の話でも。

弊社所蔵の資料で一風変わったものがあります。

『吉原細見』といわれるもので、花街「吉原ガイドブック」です。
 吉原廓内の地図、茶屋・妓楼の名前、遊女の名前やランク、揚げ代(遊女と遊ぶ代金)など事細かに書かれております。
昭和33年に売春禁止法で吉原が消滅するまで四季折々(という言い方が正しいのかは?)に発行され続けた隠れたベストセラーでした。

隠れたベストセラーとは言いましたが、弊社に所蔵されている『吉原細見』は本当に隠れています。

表紙が「文化八、正月 証文帳」となっているのですが、中身は『吉原細見』!
表紙は「証文帳」。ところが・・・

中身は「吉原ガイドブック」!

吉原の情報は知りたい、行きたい、でも大ぴらにはできないし……

つまり、これを買った男子が家族に見られるとこまるから
取りあえず表紙だけでもとカモフラージュしたようです。

江戸っ子の恥じらいでしょうかね。

『吉原細見』の詳しい読み方はまたの機会にいたしましょう。

2011年11月2日水曜日

幸運とお金をかっこめ~! 浅草酉の市

初期の頃の酉の市の様子。養鶏の収穫祭らしく鶏がいます。
『江戸名所図会』より「鷲大明神祭」(アリギリス蔵)

さあみなさん、今年も「酉の市」のシーズンがやって来ました。
毎年11月の酉の日に開催され、翌年の開運招福と商売繁盛を祈願するお祭りです。

酉の市は東京都台東区千束の鷲(おおとり)神社が有名ですが、都内のあちこちの神社でも行われています。


正真正銘江戸発祥のお祭りで、もともとは養鶏を営む人たちの収穫祭。そこに農具の市が立つようになり、幸運とお金を掻き込む熊手が縁起物として有名になっていったようです。
かの遊郭吉原のお隣ということもあり、浅草・鷲神社の酉の市にはイベント好きの江戸っ子がわんさと押しかけました。

熊手もはじめはシンプルでしたが、だんだんとお多福や宝船、米俵といった縁起物で飾られてにぎにぎしくなっていきます。

髪や襟にさすかんざし熊手も作られて、このかんざし熊手を襟首にさすと、
運が強くなり、いっさいの魔を払い、何事にも勝利できると言われました。
その証拠に『江戸名所図会』には、ちょんまげにかんざし熊手をさしたちょっとマヌケなお侍の姿があります
 


 かんざし熊手をちょんまげにさしたお侍の姿は超レア!
『江戸名所図会』より「鷲大明神祭」(アリギリス蔵)

2011年の鷲神社の酉の市は、11月2日・14日・26日です。
今もその賑わいぶりは江戸時代さながら。
いろいろありすぎたこの一年の厄災をふりはらい、新しきよい年を迎えるために出かけてみましょう。

2011年10月12日水曜日

お江戸紳士録――「武鑑」

江戸時代は出版文化が花盛りでいろいろな種類の本が出ていました。

「武鑑」は大名・旗本などの名前・領国・石高・紋・役職・旗指物などを記した本です。
今で言うところの「紳士録」みたいなものです。
存命活躍中の人々が載っているわけですから、けっこう面白いものとして広く読まれていたようです。
確かに目の前を通り過ぎた大名行列がどこのお殿様でどのくらいの収入があるのか分かったりしたら面白かったろうと想像します。
「武鑑」にも出版社によっていくつか種類があります。
これは『袖珍 有司武鑑』というもの。
馬喰町の出雲寺金吾版で天保18年に刊行したものです。
サイズは15センチ×7センチと小さく、まさに着物の袖の中に入る大きさ=「袖珍(しゅうちん)」ってわけです。

『珍袖有司武鑑』天保18年刊 (アリギリス蔵)

中身は最初に大老→老中→若年寄→と偉い順に続いていきますが、江戸のお役目の最後を見てみると・・・

(アリギリス蔵)


「公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)」と「囚獄(しゅうごく)」が並んでいます。(赤で囲んだ部分)
「公人朝夕人」がどんなお役目だったかというと、将軍が束帯(そくたい)で出かけるときに尿筒(しとづつ)を持ってついて歩くという役です・・・。
「囚獄」は伝馬町にあった牢屋敷の管理をするお役目です。石出家が代々世襲して、帯刀を名乗りました。このお役目は「不祥」ということで、格としては与力格でお目見えできるはずなのですが、江戸城への登城は許されませんでした。

しかも武鑑すら、彼らの前に1行空白を空けて区別するなんて・・・。何だかちょっと切ないお役目です。

2011年8月22日月曜日

江戸の花火

『江戸名所図会』より「両国橋(アリギリス蔵
今週末は隅田川の花火大会ですね。
学生時代に東向島在住の同級生の家にみんなで押しかけて、親戚やご近所さんみんなで通りに座って、和気あいあいと花火を見たことを思いだします。都会とはいっても下町はご近所づきあいが密で、郊外のベットタウン育ちの私は「いいなぁ」と羨ましく思いました。

さて、江戸時代の花火。今と同様に江戸っ子たちも心待ちにしていたものです。

両国の花火は、5月28日の川開きの際に打ち上げられました。
川の上にはたくさんの納涼の屋形船が出て、橋のたもとの広場にも人がぎっしり。


きれいな花火を見ると「たまや~」「かぎや~」と掛け声をかけますが、これは花火師の屋号です。「玉屋」が上流、「鍵屋」が下流と決まっていて、互いに技を競い合っていました。「玉屋」は残念ながら天保14年に火事を出したため廃業。一方の「鍵屋」は、現在は打ち上げ業者として続いているそうです。

暑い夏でも川のそばにいくと、涼しい風が吹いてきます。江戸は川の巡る水辺都市でした。しかし、今は暗渠になっていたり、高速道路で塞がれていたりで、昔の姿が感じられないのがとても残念です。韓国・ソウルの清渓川(チョンゲチョン)みたいに、高速道路が取り払われて散歩道が整備され、憩いの場として東京に川が戻ってくることを願います。

2011年8月1日月曜日

本日は八朔


『江戸名所図会』より「新吉原仲の町八朔の図」(アリギリス蔵)

 
突然ですが、クイズです。

本日、81日は江戸時代には、とても重要な日でした。
 「八朔(はっさく)」と呼ばれるこの日、なぜ重要だったのでしょうか?


【答え】徳川家康が江戸に入城した日



このゆかりで、81日は祝日となり、大名たちは白帷子(しろかたびら)を着て江戸城に登城しました。
この日からが衣更えだったそうなので、白帷子の正装で登城する大名たちの姿は季節を感じさせる江戸の町の風物詩のひとつだったのでしょうね。

また、吉原では遊女が白無垢(しろむく)を着るという習慣がありました。
でも、権現様(家康)の江戸入城と吉原の遊女町という組み合わせは、現代人の私には何だか違和感があるのですが……。
この感覚が理解できるようになれば、江戸のことももっと深く理解できるのかもしれませんね。

2011年7月27日水曜日

江戸っ子と初鰹


高級料亭「八百善」の主人が出した『料理通』に載ってる鰹の図(アリギリス蔵)



いやあ、夏ですね。暑いですね。

江戸っ子たちは“初物”にちょっとオカシイくらいにこだわっていました。

江戸の夏の到来を告げるのが初鰹(はつがつお)です。

松尾芭蕉も

鎌倉を生きて出でけん初鰹

とうたっています。

四月の初旬になると鎌倉から馬や船で江戸の町に運ばれてきました。

が、まあ、その鰹の高価なこと!

文化91812)年の記録によると…。
初鰹17本を積んだ船が江戸に入り、6本は将軍様へ献上され、3本を高級料亭の「八百善」がそれぞれ2両1分で入手。歌舞伎役者の3代目中村歌右衛門は、魚屋から3両で買ったとか。
貨幣価値に関しては諸説ありますが、1両=10万円とすると……。

鰹1本30万円!!!ひゃ~~~。

人より少しでも早く手に入れて味わいたいというこの江戸っ子の見栄と情熱ってば……(絶句)。

ちなみに、現代では、初競りで高値の付くマグロ。江戸時代には人気のない魚でした。当時は冷蔵技術もないわけで、大漁すぎると肥料にされていたそうです。もったいな~い!

2011年7月13日水曜日

江戸時代、今いる場所には何があった?


「江戸切絵図--飯田町駿河台小川町絵図」(アリギリス蔵)


みなさんは『江戸切絵図』をご存じでしょうか。
「住宅区分地図」の江戸時代版ようなものと言ったらわかりやすでしょうか。

今日、掲載したのは「飯田町駿河台小川町絵図」という題の地図で、飯田橋から駿河台、神田小川町の辺りを描いたものです。

さて、ではアリギリスのある神田小川町3丁目24番はこの地図のどの辺か、探してみましょう。


土屋采女正のあたりが神田小川町3丁目の一部(アリギリス蔵)
ありました、常陸国(ひたちのくに)土浦藩の土屋家の江戸上屋敷(かみやしき)です。

なぜ「上屋敷」とわかるかというと、家紋が書いてあるからです。
「江戸切絵図」では、上屋敷は家紋、中屋敷は■マーク、下屋敷は●マークというルールで描かれています。この家紋、もうひとつ役割があります。
家紋の位置と向きが屋敷の中で、“表門がどこにあるのか”を示しているのです。
武家屋敷には表札は出てなかったので、この『江戸切絵図』はとても重宝したと思われます。
土浦藩土屋家は譜代大名で、水戸藩と仲良し(?)でした。TBSの時代劇「水戸黄門」にも黄門様の味方として2代目藩主で老中をつとめていた土屋政直がよく登場してきます。
地図に書いてある土屋采女正(うねめのしょう=官位で従五位下)は、10代目藩主で、寺社奉行(寺社を統括する役職)や大坂城代など幕府の要職に就いた人物です。
自分の家やオフィスが江戸時代にはどんな場所だったのか、探してみるとテレビドラマや小説の舞台だったり、思わぬことがわかったりします。楽しいですよ。

2011年7月12日火曜日

江戸の本屋さん

『江戸名所図会』巻2より「錦絵」(アリギリス蔵)

アリギリスのホームページ http://www.arigillis.co.jp のトップの絵は、
今から約180年前、江戸の天保期に発行された『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』に載っているものです。

日本橋通油町(とおりあぶらちょう)の本屋「仙鶴堂」の店先です。

店の左側に大きな行灯看板が出ていて「本問屋―鶴屋喜右衛門」「さうし」(草紙:江戸時代の絵入り小説のことですね)の文字が見えます。
店の奥には錦絵(多色刷りの浮世絵)がうず高く積まれています。

寺子屋のおかげで江戸の人々の識字率は高く、読書は娯楽のひとつでした。独自の出版文化が花開き、十返舎一九、式亭三馬、滝沢馬琴などの人気作家が生まれました。